创作者☆日记

京阿尼员工日志
THE☆笨蛋日常一代

接缝

独楽2022年12月22日译者: 竟然是个用户名

最近开始坐电车上班。

虽然很喜欢眺望车窗外流过的景色,

不过我总会边看边想着“要是这个景色在layout里面出现了会是什么情况~”,

这可能算是职业病吧。

大家好,我是独楽。


我在眺望山和河的时候突然想到,如果要画山,那么第一印象大概就是山的峰。

要是画河的话也是一样,会先浮现出水在流动的样子。

在画画的时候马上就能想到对应的印象是很好,

不过有时也会思考,“那么山的尽头是什么样?河流的终点又是什么样”。

山脚下的平野和河边实际上并没有一种确定的样貌,

所以在画画的时候,比起山川本身,观察这些地方更加的重要。


不仅限于山川,我们经常会疏于对事物的开始与结束以及连接的部分的认知。

即使是对于一个事件,去关注这个事件是如何开始、结束以及事件前后的情况,

也会加深对于这个事件的理解。

遥望着山川,我又一次认识到了这一点。

那么2022年也即将结束。

时间并没有连接处,

不过我一边在电车里左摇右晃,

一边回想着过去的一年、思考如何迎来新的一年。

繋ぎ目

独楽2022年12月22日

最近、通勤で電車を使うようになりまして。

車窓から流れる外の景色をぼんやり眺めるのが好きなのですが、職業病といいますか、「ここの景色をレイアウトに起こしたら~」なんてことをちょくちょく考えます。

こんにちは、独楽です。

山や川を眺めている時にふと思ったことで、「山を描いて」と言われたら大体最初に峰をイメージしますよね。川も同様で流れている水の様子なんかを思い浮かべます。

絵に描くときにここはすぐイメージが沸くので良いのですが、じゃぁ山の終わりはどうなっているのか?川の端っこはどうなっていた?と思うことがままあります。

裾野や川辺は実際決まった形、イメージとして定型がないので当たり前のような気もしますが、絵に描いている時は山川本体よりこっちの観察の方が大事だったなぁと感じます。

山や川に限らず、物事の始まりと終わり、繫ぎ目の部分は認識が疎かになることがしばしば。

出来事であっても、どのように始まったかや終わってどうなったか、前後の事情を見た方が理解が深まることも多いですよね。

山や川を眺めながら、改めてそんなことを認識したのでした。

さて2022年ももう終わりです。時間には繫ぎ目も何もないですが、今年はどんな年だったか、来る新年をどのように迎えようか、電車に揺られながらぼんやりと考えている独楽なのでした。

それでは皆様、よいお年を。