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高桥先生的筑城计划其之②☆高橋

高桥博行2016年04月15日译者: 捡枝自便

我是高桥。我今天想写"為"这个字的时候想不起来笔画了。汉字本身倒还记得,就是想不起来笔画顺序。结果它不仅让我不能像之前一样无意识般畅快写字,还恶化了其他字的流畅书写,真是奇怪的字。从那以来,我执着于漂亮地书写"為"字,因为对我而言,有一些汉字,如果可以结构均衡地书写出来,心情会非常舒畅。"為"字的内涵很深。大家能不能写出好看的"為"字呢?

说起来上回我说了希望宇治也有座城,想要时光倒流建一座城堡。也说了只要一抬头就能看到城堡,那该有多好。那么,要穿越到哪个时代建城呢,高桥的话最想假定在关原合战之后不久建城。要说那个时代的宇治附近是个什么样子的话,大致就是伏见城因为关原的前哨战而陷落,被烧没之后又被幕府重建。很近的淀城还没有建好。丰臣家的大阪城健在。宇治西侧存在着巨大的椋池。宇治桥在这个时代被破坏了。宇治成为了天领。

(幕府的直辖地,该地方官家族似乎至今还在经营宇治某个茶店)因此,接受了来自德川家的任命在此修筑作为伏见城的支城的城堡,这样的情景我梦寐以求。至于后事如何,且听下回分解。

 

译者: 捡枝自便

高橋です。高橋はある日「為」という漢字を書こうとして書き順がわからなくなってしまいました。漢字そのものをど忘れしたのではなく、書き順を忘れてしまったのです。前は意識せずささっと書けていたものが書けなくなり、他の字との流れが悪くバランスのおかしな字になってしまいました。それ以来「為」という漢字を美しく書くことにこだわり、自分なりにバランスよく書けると非常に気分がよくなる字でもあります。「為」は奥が深いのであります。皆さまは「為」を美しく書けますでしょうか。

さて前回宇治にも城が欲しい、時代をさかのぼって築城したいとこの場で申しました。見上げれば城がある、それがいいのだと申しました。では、いつの時代にさかのぼって築城するのか、それを考えると関ケ原の合戦直後に想定したいと高橋は考えています。その時代のここ宇治近辺はどういったところであったかと申しますと、伏見城は関ケ原の前哨戦で落城し、焼け落ちて後幕府によって再建。すぐ近くの淀城はまだない。大坂城の豊臣氏は健在。宇治の西側には巨大な巨椋池が存在した。宇治橋はこの時期はずされていた。宇治は天領となる。(幕府の直轄地。お代官は今も宇治にあるお茶のお店の家だそうです) というわけで、伏見城の支城として徳川家から築城せよと命じられたという体でいきたいというところで次回へ続くのです。

高桥博行

入社20多年。 主要负责原画和作画监督的工作。 兴趣是到处闲逛。