高橋です。ここ2週間程夜は10時頃に寝て、朝は4~5時頃には起きるという生活をしております。そうなると、あまりテレビを見なくなりました。録ったものだけを見る、自然とそうなります。この後出社すると考えると時間を有効に使おうと考えるようになりました。同じ2~3時間ですが夜と朝では随分と意識がかわります。朝ののんびりは夜のダラダラとは少し違うのです。今は朝も非常に気持ちがいいのでしばらくは続けてみようと思います。
さて、弱小大名高橋家の宇治築城計画ですが、徳川家のものとなった伏見城の支城として宇治の地に城を築く事となりました。2週程前に放送のあった某テレビ局の「〇ラ〇モリ」で「伏見は日本の首都だった?」でもおわかりの通り、伏見は政治の中心でした。それは江戸幕府の初期も変わらず、初代から3代までは伏見城にて将軍の宣下をうけておりますし、家康も江戸よりも伏見にいる時間のほうが多く伏見幕府と呼べるものであった、と記している書籍もあります。また、大坂の豊臣家に対してもうってつけの前線基地だったのではないかとも思えるのです。
で、だから高橋家の宇治の城はどこに築くのか。 誰もたいして興味などないと知りつつ次回へ続くのです。