最近我注意到旧纸回收汽车的广播已经没有了。
“我们是您熟悉的废纸交易店。请问有旧报纸旧杂志吗?”是这样的声音。这么说来,汽车移动销售的豆腐店“啪~噗~”喇叭声竟也不知不觉地消失了。晒洗好衣服的竹竿的移动销售“竹竿~竹竿~”最终也没来我们这里了。
仅从照片上是不能理解的,由声音所引起的往昔情景,比起直接看到的是怎样的呢?
我能感受到强烈的怀念。
说到声音的情景还有一个。我小时候是昭和40年代,在去往新年首次参拜的神社之时,男性和女性几乎都是穿着木屐和草鞋在走,所以“哗啷哗啷”走路的声音非常大。虽然很吵以至于不能和旁边的人说话,但是这种怀念之感也已经是很遥远了。
电影等影像作品的一半魅力都在于“声音”,所以我重新考虑了要注意的事情。
最近は古紙回収自動車のアナウンスがなくなったことに気づきます。
「まいどおなじみのチリ紙交換屋でございます。古新聞古雑誌ボロはございませんか?」という奴です。そういえば自動車移動販売の豆腐屋さん「ぱ~ぷ~」ラッパ音もいつの間にかなくなりました。洗濯物を干す竿竹の移動販売「たけや~さおだけ~」もとうとううちの町には来なくなりました。
写真だけではわからない音による昔の情景というのは目に見えるものよりどういうわけか
強い懐かしさを感じますね。
音の情景といえばもうひとつ。私の小さいころは昭和40年代となるのですが初詣で神社を歩く際、男性も女性もほとんど下駄や草履で歩きますのでカランコロンと歩く音が凄く大きいんです。隣の人と会話が出来ないくらい大きくうるさかったのですがこの懐かしさも既に遠い昔になってしまいました。
映画など映像作品の魅力の半分は「音」となりますので、いろいろ気にしたいと改めて思う次第です。